魅力的で美しい声の人になりたい

はじめて録音した自分の声を聴いたとき、これが私の声?と驚いたことを覚えています。
自分が思いのほか甲高く、想像よりもずっと幼い声に感じてがっかりしました。

大人の女性の声はトーンが低くて、そして話し方もゆったりとしているものだと思っていましたので、早口で、とても落ち着いているとは言えない話し方をする自分の声を聴いて、なんとも言えない気持ちになったものです。

人の声の記憶は、見た目の記憶よりも深いところに記録されているようで、ずいぶんと時間が経っても、この声は聴いたことがあると思い出せたりします。
最近はSNSやメールなどで連絡を済ませることが多くなり、以前よりも電話で話す機会が減りました。また着信した時に、登録した連絡先であれば、誰がかけてきたのかわかります。ビデオ通話で顔をみながら話すことも簡単に出来るので、お互い声だけの通話もよりも便利です。
声だけを聴いて相手がだれかっていうことを思い出す機会も減っているかもしれません。

それでも、久しぶりにかけた電話の向こうで、懐かしい声を聴くと、会っていなかった長い時間が一気に縮まるような体験をします。

人の声には、今その瞬間の、無防備なその人が、丸ごと表れるんじゃないでしょうか。
見た目は、お化粧をしたり、気をつかってなんとか整えることが出来ます。

声は見た目に比べて無防備で、指紋と同じように声紋というものがあるくらい個人を特定できるものです。
声にその人の本質的なものが表れるのだとすると、魅力的な美しい声の持ち主は、魅力的で美しいということですよね。

時々、とても美しい声の人に出会います。声の良し悪しは好みも大きいと思いますが、私の好みは、ちょっと癖があって、次に聴いたときにもすぐにわかる、印象に残る声に惹かれます。

そういう意味では、役者さんというのは、実に魅力的な声の持ち主です。もちろん訓練の賜物でしょうが、声を聴くとその役者さんの顔が思い浮かびます。

美声には手が届かなくても、魅力的で印象的な声の主になりたいと願いつつも、まずは今ある自分の声を愛することから。
自分の声が愛せないっていうのは、自分のことを愛せないっていうのと同じこと。

年齢を重ねると、いつの間にか自分の親とそっくりの声と話し方になっているって気づいて、仕方ないなと思うのでした。
最初に出会った人の声を聴いて、その声を好ましいと感じていたので、いつの間にか似てしまったんですね。

私にとって最も魅力的で惹きつけられる声は、子どもの頃に聴いた母の声かもしれません。
そう思って自分の声を聴いてみると、なんだか懐かしい感じがしてきました。