SMAP解散失ったときにわかる好きだった理由と愛していたこと

SMAPというアイドルグループが解散することが決まって、最後のテレビ放映を何気なく観ていました。グループ誕生から28年、テレビ番組SMAP×SMAPの放映20年9か月という時間の経過を、番組を観ているときから感じていました。

私自身が特別にSMAPファンだったという訳ではありません。5人の内の誰かが特別に贔屓だった訳でもありません。またこの番組を観るのを毎週楽しみにしていた訳でもありません。ただテレビの画面を観ながら感じたのは、もうこの5人で一緒のところを観られないこと、また彼らの唄を聴けないのはとても残念で、そしてすごく淋しいということです。

この寂しさが時間と共に大きくなっています。

そして同時に、彼らがどのように素晴らしかったか、他のアイドルグループにはない存在理由があったのか、その唄に込められたハートを感じます。

失ってから初めてその本当の価値がわかる

あるのが当たり前、居るのが当たり前でいつでも観られると思っていた時には、彼らを失うことなど考えたこともありませんでしたし、失うことでどんな体験をするかなど想像もしていませんでした。

よく言われることで、「失ってから初めてその本当の価値がわかる」という言葉があります。この言葉の後には、だからこそ失う前にその価値をわかっていた方が良いという教訓が続くのですが、彼らを失った今、残念なことにその教訓通りの体験をしています。

あるのが当たり前、居るのが当たり前の時には、その存在の価値にまったく気づいていない訳ではなかった筈です。

その証拠に、私はそれほど普段テレビを長い時間観る方ではありませんし、芸能ネタにはむしろ疎い方です。それでもSMAPが解散するいきさつや、今までのあれこれを知っています。それを見聞きするときに、テレビの画面に向かっていろいろな文句が沸いてきました。「大人気ない」とか、「もっとうまくやれないのか」等々、言いたい放題でした。

その価値にそれほど気づいていなかったと今になっては残念です。

喪失は繰り返される

そして今体験している淋しさ、残念な感じ、悲しさ、そして喪失感。

これらは、時間を追うほど強く大きくなる感じがしています。

そうはいってもこれらの感情は、時間の流れの中であるところまで大きくなって、いずれは忘れ去られて行くものだということを体験上知っています。

その基になる体験とは、かつて大事なものや存在を失ったときのことです。それが物であっても、人であっても、場所や時間であっても、失ったときに感じる感情の大小はあっても、繰り返し繰り返し感じ、そして忘却していくのです。

私の両親はすでに他界しており、今両親を想うと懐かしことばかりです。生きているときはそれこそ両親に対して批判文句が沢山ありました。亡くなると、本当に不思議なくらい父や母の素晴らしかったところ、愛すべきところが想い出され、あれほど文句があったことも想い出すとむしろ笑えることになっています。

本当に不思議なことです。私自身今では両親に対して愛と感謝しか感じません。

好きだった理由がわかる

SMAPというアイドルグループ、そして彼ら同じ時代を共有してきたこと、彼らの残した歌の数々、それらの価値、そして自分が好きだった訳がわかってくることでしょう。

間違いなく言えることは、月並みな表現になりますが、私がSMAPを愛していたということ、そしてその存在にとても感謝しているということです。

今感じている喪失感など様々な感情も、「失ってから初めてその本当の価値がわかる」という言葉と共に忘れ去られていくのでしょう。

忘れることは幸せなこと

もしかしたら、なにかを失う度に、今で失った様々な体験が蘇ってくるのではないでしょうか。だとしたら、失ったときにはしっかりと喪失感などの感情を感じつくし、ひとつひとつの失った体験を愛と感謝になるまで完了させておかないと、年齢と共に体験する回数が増えるであろう喪失の体験に耐えていけるか不安になります。

ああだから、人は過去の出来事を忘れていくのかもしれませんね。

忘れていけるのは、むしろ幸せなことかもしれません。