ふと思うことあります。自信に満ちあふれてる私だったらなにをしたい?
よく聞く言葉です。自信がないって。かつて私もよく口にしてました。いつからでしょう。自信がないって言わなくなりました。
気がついたことは、自信があるなしに関係なく、やりたいことは、もうすでにはじめているってことです。どうしてもやりたいことだったら、自信が満ちあふれるのを、待っている必要はないんです。
かつて自分が欲しかったもの、それを手に入れたら、それはビジネスになるって思っています。それは例えば、自分から誘う勇気がなくて、だれか誘ってくれないかなって待っている側だった私。誘われるのを待っている自分が、好きになれませんでした。
そして冒頭の質問です。自信にあふれている私だったらなにをしたい?なにができる?
湧いてきた言葉は、「誘う」でした。
一緒にやらない?って誘いたい。単純に純粋に、そう思ったのです。一緒に体験する、一緒に楽しむ、一緒になにかをする、一緒に食べる。
ひとりじゃできないからではなくて、ほとんどのことはひとりでもできます。ひとりでは楽しめないのかいうと、ひとりでも十分に楽しめます。
ひとりのほうが、気ままに自由に、好きなことを好きなときにできますし、気楽です。ひとりごはん、ひとり飲み、ひとり映画、おひとり様でなんでもできます。
ひとりで楽しむこと、なにも問題ありません。
ただ一つ、ひとりじゃできないことは、同じ体験を共有することです。同じ時間、同じ空間、同じ出来事を体験しても、人によって感じることや経験がまったくちがう。私にとっては、このちがうってことが、面白さの醍醐味です。違っている人と一緒に体験することで、今まで経験したことのない世界、もっと幅広く、味わい深く、心躍るような体験ができる。なんてワクワクするんでしょう。自分以外の誰かの世界にお邪魔する。これがしたくて、それが面白くて、私は部屋づくりや心のことをやってきたんだなって、今はすごくよくわかります。
自分のカラーはあります。それは私の個性でもあり、価値観や考え方やり方もあります。自分のカラーでいるだけでは、満足できないんです。欲深いんです。
混じりたいのです。他の人のカラーと。混じったことでなにが出てくるのか、どんな体験なのかがとにかく楽しみなんです。
他の人の色と混じっていくイメージは、ビーチボールってありますよね。縦にカラフルに色分けされた空気を入れて膨らますあれです。ビーチボールにを天井から吊るし、指先でボールを回転させます。カラフルなボールが勢いよく回っていることを想像してみてください。回転が速いと、いろんな色が混じり合っているように見える。回転が止まると、もとのカラフルなビーチボールです。
自分以外の人が見せてくれているカラー、その人の個性や世界や、あらゆる経験。それはその人のものであって、私のものではないのだけれど、一緒にやろうと回転すると、誰のものか誰のカラーかわからなくなる。地球儀を回転させると、国も、大陸も、海も、境目が分からなくなって、混じって見える。それに似ています。
一緒に、っていうときに、同じカラーになることは目指してません。同じゃ面白くないんです。個性的で、自分のカラーをもっている。それは必ずしも目立っているという意味ではないんです。人にはインパクトのあるカラーを持つ人と、ソフトなカラーをもつ人がいます。それでいいんです。それがいいんです。
世界は混じっていく方向です。地球は一つ。地球の表面の色が混じっていっても、本質はかわらない。
どんどん混じっていく世界に、いろんな人をお誘いします。
ご一緒にどうですか?